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「あー泳ぎたい」
「は? 泳ぎたい?」
 思わず僕は鸚鵡返しに問うていた。
 目の前の自称永遠の十七歳、ファルーシュ・ファレナス。実年齢はファレナ王室公式年鑑を鑑みる限り二十七歳。でもそれを言うと鬱陶しく拗ねるので突っ込みは胸の内に留めておく。曰く、外見年齢十五のティルと二十七歳なんて犯罪っぽいじゃないか! ああでもそれがまた禁断の香り……でもファレナ国法で十六歳未満の子に手を出すと捕まっちゃうんだよね、だそうである。
 正直ファルーシュが真実十七歳だったところで、外見年齢十五の僕に手を出したらどっちにしろアウトなんじゃないだろうか。それ以前に、僕の実年齢は二十近いのだから外見年齢で語ることはそも無意味だ。要するに意味もないことをヤツは喚き、僕が言葉に困るさまを見て楽しんでいる外道である。
「水に潜る。包み込む透明な浮遊感、青く光る水面、肉体に染み入るさざなみの音。原初の海にたゆたうのは最高だと思わないか?」
 訂正。外道の上なんか妙な電波を受信している。
「ティル。なんだか私に失礼なことを考えているだろう」
 じとりと美貌に見据えられ、僕はふん、と鼻を鳴らした。
「何が悪い。美形なら美形らしく憧憬を壊さない言動をしたらどうだ」
「分かっていないね。美形、だけど喋ると意外と気さくなお兄さん。これが人気の秘密だよ」
「ただ単に頭のネジが緩いんだって理解されただけだろ」
「可愛くないことを言う口だね、そんなことを言う口はこうだ」
 えい、と自前の効果音までつけて、ファルーシュがその長い指を伸ばしてくるので慌てて避けた。
 こいつはどうにも僕を子ども扱いしたがる。避けられることまで想定済みなのだろう、余裕じみた表情でにやにやと意地悪く笑っているのに腹が立つ。本気だったら僕は、リーチの差からも経験の差からも絶妙に敵わない。だから余計、ムカツク。
「ティルはもしかして泳げないのかな?」
「そんな訳ないって分かってていってるだろあんた……」
「あんたじゃなくてファルーシュ」
 将軍の息子、将来軍属。ファレナのように運河が張り巡らされた地形でなくても、水練は訓練の一つだ。理解のうえで揶揄るこいつを絵本に出てくる王子様みたい、とかほざいた女は本気で目がおかしいと思う。
「デュナンの水は綺麗だね。ファレナのは青くて輝いているのだけれど、ここのは凄く澄んでるんだ。……ああ、泳ぎたいな」
 窓の外、城の横に広がる雄大な湖を一望して、ファルーシュが呟く。その瞳は微かにきらめいている。涼やかな青をその目に湛えておいて、なお水が恋しいと言うこいつが僕には分からない。僕らが還るのは土で、水じゃない。ここは、ファレナじゃない。
 望郷の念をありありと浮かべながら、ファルーシュは旅に出るだろう。

 何が切欠だったか、この戦争が終わったら、という話題になった。トランには定住しない、と言った僕に、ファルーシュは行く先を尋ねた。南にはラズロや、ファルーシュたちの故郷がある。だから北を選んだ。何のことはない、好奇心と、少しばかりの意地だ。
 ファルーシュが無造作に、僕に同行したいのだ、と告げたのは三日前の話だ。リオウが、まだこの戦争の先を考えられない、と苦笑している横で、ひどく淡々と僕らは予定を話し合った。
 北へ、北へ、歩いたその果てに何を見るのだろうか。
 世界の果ての切れ端は、意外ともう一方の切れ端に繋がって、北の果てに南の国があるかもしれない。
「お望みならここから突き落としてやろうか? 今すぐ泳げるぞ」
 つっけんどんに言い放つと、ファルーシュは振り返ってそれは困るな、シュウ殿に怒られる、と嬉しそうに笑った。


君の望む先、望まぬ先


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